「共感する」これが傾聴や心理カウンセラーのスキルだと言われると少し腑に落ちません。共感してもらった。共感してあげた。共感できるようになった。「共感」という言葉には「する」とか「できる」という単語がしっくりこないのです。そんな風に感じるのは私が8年間のうつ病・ひきこもりを経験したからでしょうか?
目 次
1.うそくさい「共感」は寂しさを呼ぶ
2.「共感」してしまう傾聴とは?
1.うそくさい「共感」は寂しさを呼ぶ
闘病期間中「共感」を示してくれる人はたくさんいました。
「大変でしたね」「よく頑張りましたね」
そのたびに「あなたにわかりますか?」と思わざるを得ませんでした。
その「共感」なんか違うんだよな。と感じていました。「共感」をうそくさいと感じた時点でその傾聴は白けてしまいます。そればかりか「きちんと僕の気持ちをわかろうともしないで、表面的に理解を示して終わらせようとした」とすら思えてきます。寂しいのです。
(誰に共感しているの?)
当時はロジカルにその寂しさを説明できませんでしたが、あえてロジカルに説明するとこういうことなのかなと思います。「うつ病なんです」「大変ですね!」と共感されたとしたら、相手は「うつ病」くらいしか傾聴していないわけです。つまり、日本中に何百万人とうつ病の人がいるわけですから、その人たちに同じリアクションになるわけですよね。
東北地方の人全員に同じように「3.11大変でしたね」と言っているようなものです。「大変だった人」も「大変じゃなかった人」も「大変という言葉ではあらわしきれないつらさを味わった人」も「大変だったと過去になっていない人」もいるはずなのにです。
傾聴をする時には目の前にいる人のことを受け止める必要があります。
それを一般論とすげ替えてはいけないのです。特に悩んでいる人は「私に言っているのか?」「うつ病患者全般の人に言っているのか?」というような会話の聞き方をします。その人が個人的に体験したエピソードを聞いてから「共感」ではないかと思います。
2.「共感してしまう」傾聴とは?
「共感」とはわざとすることではなく、なってしまうこと。だとしたら、「共感」自体は結果だと言えます。世間のカテゴリわけに準じて、傾聴スキルとして「共感」の記事を書いていますが、本来はスキルと考えること自体が少し違います。
1)「共感する」ではなく、「共感してしまう」
では、どうやったら「共感」してしまうようになるのか?
「今年の1月に家族でハワイに行ったんです」
こう聞いて「共感」できますか?まだ何をしたかも良い話なのかどうかも語られていません。
「よかったですね!」
という反応は話し手の意図するところではない可能性が十分にあります。「よかったですね」というのは聞き手が自分が家族でハワイに行ったことを思い出したり、想像して「良い出来事だ」と勝手に判断しているにすぎません。それは「共感」ではなく、「感情の押し付け」です。
「初めて、ハワイに行った中学生の長男が大喜びで朝のビーチを走って行きましてね。夫とそれを遠くから見ていたら、今までの大変だったことを思い出しちゃって、、、病気だった息子がこんなに綺麗な海で全力疾走する場面を見ることができるなんて、、、そう考えたら何だか幸せだなって感じたんですよね。頑張ってきてよかったです。」
「そうですね!よかったですね!」
先ほどの「共感」と比べると聞き手の中により自然に「よかったなぁ〜」という気持ちが湧き上がってきます。この自然に湧き上がった気持ちを「共感」として表現すると話し手も「ああ、私の気持ちが伝わった」と感じることができます。
2)傾聴の他のスキルが重要
「共感」は傾聴の重要なプロセスのひとつです。「共感」がない傾聴はあまり意味がありません。しかし、「共感」は傾聴スキルというよりも結果です。「共感」というゴールを目指して、ラポール、観察、うなづき、あいづち、伝え返し、有効な質問などを駆使するのです。
相手が思い出している過去や想像している未来、空想などをしっかりと傾聴し、心の底から「なるほどな」と腑に落ちてから自然に湧き上がってくる気持ちの流れに乗って「共感」するように心がけてください。
<共感は最初のゴール>
- 大事な家族の気持ちがわからない!
- 大事な仲間の気持ちがわからない!
そんな風になってしまった時にこそ、傾聴を使って、気持ちを理解する試みをしてみてください。本編にも書きましたが、「共感」は結果です。そこに至るとほっと一息つくことができます。遭難した人を発見した瞬間に似ています。あとは一緒に気をつけながら脱出すれば良いのです。