自分の心の様子が何かの対象にうつることを「投影」と呼びます。
メッセージの社会になり、情報と気持ちが別々に送られるようになると「投影」のされ方も変化してきます。そして、それがコミュニケーションに影を落とします。

目 次
1.情報だけの共有で「こころ」は?
2.自分の影がメッセージに投影される
3.聖書や絵本の受け取り方に似ている


1.情報だけの共有で「こころ」は?

対面で話をしている時に相手が笑顔で「楽しかった」と言えば、「ああ、楽しかったんだな」と納得することができます。「楽しかった」という情報と笑顔という感情が両方伝わってくるからです。
メッセージの場合には「楽しかった」と言葉だけが送られてきます。
 感情はどこから感じ取るのでしょう?
 絵文字でしょうか?スタンプですか?

2.自分の影がメッセージに投影される

自分が不安になっていたり、疑心暗鬼になっていたり、楽しめない空気の中にいたりすると、「楽しかった」(社交辞令だけど)という風に受け止めてしまうかもしれません。この(社交辞令で言われている感じ)は発信者側がメッセージに乗せているのではなく、受信側が自分の今の心境をメッセージに勝手に投影しています。
機嫌が良い時にメッセージを開けば「楽しかった」(本当に!)という意味にもなります。

3.聖書や絵本の受け取り方に似ている

よく絵本や聖書などは同じ部分を読んでも自分の置かれている状況や成長の度合いによって違う意味に聞こえると言いますが、それに似ています。
発信者側の感情ではなく、自分の感情をメッセージに乗せて解釈してしまっていると気付けない若者が増えています。そうすると、家で嫌なことがあったのにそのあと友達から来たメールも全て嫌なメッセージだと受け取れてしまうのです。
引きこもりの原因がこの勘違いによって起きていることはよくあります。