傾聴の効果が明らかに現れる時とそうでない時があります。傾聴が人の心に何を生み出した時、人は「傾聴されてよかった」と感じるのでしょうか?そして、傾聴の効果とはそもそもなんでしょうか?

目次
1.理解されたと感じる
2.自分を大事にされたと感じる
3.日常会話の中でも
4.傾聴の効果を感じるとき


1.理解されたと感じる

私もうつ病の経験がありますがうつ病になってしまったり、ひきこもっていると元気な人には理解しにくい状態になってしまいます。簡単に話しても分かってもらえないので、次第に話すことをやめてしまいます。「どうせ言ってもわかってもらえない」そんな気持ちになってしまうからです。

「普通の会話と傾聴の違い」 ホワイトボードより

傾聴の効果がでてくると話している側も「あーこの人には分かってもらえたなぁ」と言う気持ちになってきます。今まで1人で抱えていたことを2人で分かち合うことができるのは悩んでる人にとってとてもあり難いことです。

 


2.自分を大事にされたと感じる

何かに悩んでいる人は自信がなくなっていたり、孤立していたりして周囲とつながっている感覚が減っていることが少なくありません。だからこそ、自分の気持ち、自分の状態、自分の考えを中心に対応してもらえると大事にされている気がしてきます。この感覚が悩んでる人の支えになります。

「ただ聞いて欲しい」をいう気持ちを理解する
以前の職場で、私とよく気が合い、ほぼコンビのように仕事をしていた直属の上司(当時35ぐらい)が、2年ほど北米に赴任しました。もともと快活で物怖じしない方で、英語も堪能ということで、さほど心配せず皆で送り出しました。時が経ち彼が戻ってきました。流れ上、また私と組む形で仕事をするように。自由な発想を持つ方で、赴任前もアイディアマンでしたが、やはり初めての長期海外滞在ということで「かなり変わった」という印象を受けました。簡単に言うと、人の顔色をうかがうことをせず意見をバシバシと言う、年齢・勤続年数などによるざっくりした上下関係を無視して仕事のアドバイスをする、などのことが増えたのです。それでも当初は職場の人間皆、彼を好意的に招き入れていました。しかし段々と「アイツは鼻持ちならない」とか「傍若無人だ」などの声が聞こえてくるようになりました。困ったことに、取引先からややクレームに近い話が来たりもしました。引き続きコンビ的に仕事をしていたため、私にもやや火の粉が飛んできて、「アイツに媚びている」だとか、彼と一緒にされて陰口を言われたりもしました。「彼の話」は、基本的にはほぼ全てビジネスに関することに限られていました。しかし私は、彼は「海外経験に基づいた仕事の話」をしたいのではなく、「ただ単に、何か話したいのではないか?」と思ったのです。帰国されてから1-2ヶ月後のことです。多忙でなかなかまとまった時間が取れませんでしたが、ある時少しだけお互い暇になり、夜の公園を歩きながら2時間ほど話す時間を取ってみました。何度か続けました。すると、最初はビジネス話ばかりであったのが、海外話と言っても、食べ物の話、レジャーの話、芸術の話など色々立て板に水で話してきます。北米経験とは特に関連のない、娘さんの話なども。ビジネス系の話、それもアドバイス等では、職場の人間も具体的な返答をしなければなりません。しかし私と公園で話すときの彼の話は、特に私の返答を要さない内容になってきていました。「なるほどそれは面白いですね」「うわ、それは聞いたことなかったです」など、ただ興味を持って聞くことに徹しました。ハッキリした境はありませんが、彼は職場で、さほど「浮く」言動をしなくなってきました。人は、「具体的な何か」を伝えたいように見えて、実際は「ただ話を聴いてほしい」ということがあるのだ、と改めて思いました。

 

3.日常会話の中でも

効果的な傾聴と言うのは1:1のカウンセリングのような場面だけとは限りません。
日常会話の中で「今日は桜の花が咲いたね」とか「月がきれいだね」というようなささいな会話の中でも傾聴による様々な効果を出すことができます。人は悩みを抱えてしまうと他の人と感情の共有をすることが少なくなってしまいます。特に重い症状を長く抱えているような人は「今日、寒いですね」と言うような感情の共有すらできていないこともあります。
日常会話の些細な感情を聴いて共有することも立派な傾聴といえます。

「傾聴による感情の共有」 ホワイトボードより

 

4.傾聴の効果を感じる時

通信制高校で学校に行きにくい状態の様々な生徒と関わっていると親に自分の状況を話していないケースがほとんどであることがわかります。なぜ最も身近な親に今の心情や問題点を相談できないのでしょうか?
それは過去に何度か相談したけれど理解されなかったり、自分の状況とは程遠い正論を言われたり、「どうせわかってくれない」と言う思いがあるからです。

逆に我々、教員がじっくりと傾聴することで、その子が抱えている特殊な気持ち、立場、考え方などを理解することができます。

ほとんどの場合、このような傾聴がその子が立ち直るきっかけになります。例外なくどの子も理解してくれた大人の事は信頼するのです。その意味でも傾聴を十分に行ってから、今、抱えている問題の対処をするのが良いといえます。