一般に愛情不足の子どもは自己肯定感が低いと言われます。これは本当でしょうか?もし皆さんのお子さんの自己肯定感が低いとしたらそれは愛情不足によるものだと思いますか?
子どもの主観的な愛情不足感
愛情不足というと親の何かが足りないようにも受け取れます。もっと愛情を注げばよかったのに!本当にそうでしょうか?子どもが愛情不足と感じることと親の愛情が足りていないことは本当にイコールでしょうか?
1.愛の減少感
恋愛を思い出していただければわかると思いますが、毎日同じくらいの愛情表現をしていても私たちは慣れてしまうので愛情が減っているようすら感じます。子どもが生まれ、2人目が生まれた時に一人目の子が愛の減少感を感じないはずはありません。お母さんを取られたような寂しさに襲われ、愛情が半分、あるいはそれ以下になったように感じます。しかし、それは親のせいというわけではありません。仮に一人っ子だったとしても親の愛は成長とともに感じ取り難くなってくるものです。
2.自己肯定感に関係のない愛情
子どもが一生懸命頑張ったその経緯、過程をしっかり見ていて褒めたり励ます。そういう関わり方をされた子は自己肯定感が高まるかもしれません。逆に親が一生懸命に働いて、プレゼントをたくさんくれたとすれば、それは自己肯定感が高まることとはあまり関係がなさそうです。親の愛情表現にはたくさんの種類があります。間接的で見えにくい愛情表現をせざるを得ない場合もあります。その影響で自己肯定感が高くならなかったとしても誰を責めることができるでしょう?
3.自分の人生に愛があるか?
過去に虐待を受けていても自己肯定感が高くニコニコと生きている人もいます。逆に床暖房完備の家に住んでいて、親が一生懸命にしてくれていても自己肯定感が低く、不満や恨みで満ちている人もいます。この違いを生む差はなんでしょうか?たくさんの人のカウンセリングをして人生を横から見てきて思うのは「今現在自分の人生を愛しているか?」ではないかと思います。今のこの一瞬を「恨み」に使うのか「使命」に使うのか?自己肯定感の低さをあらわす、愛情不足があるとしたらそれは絶対的なものではなく、主観的なものであると言えます。
親の愛が1mmでもありがたいという人もいれば、どれだけあっても足りないという人もいます。
親の愛がないと生きられないのか?
親に育てられていない人。戦争で親を早くに亡くした人。そういう人たちが必ずしも不幸だとは限りません。親に愛されることはとても幸せなことかもしれませんが、それ以上に大事なのは「親のせいにしないで生きること」ではないでしょうか?自分の人生に責任を取ろうとした瞬間から自分の人生が始まります。そうなると親がしたことは「台風が来た」という出来事となんら変わらないことがわかります。人生には「台風」や「地震」、「親」などが影響してきて揺さぶりをかけられるけれどそれを味わい楽しむのが人生だとしたら、「台風」と「親」は同じです。台風の被害にあった人の中でもすぐに立ち直る人と台風のせいにして被害者になってしまう人と別れます。親との関係もそのように考えることもできます。