やらないといけないことをやるときには”距離”を意識しよう
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心の問題と距離の問題の密接な関係
何を言っているんだと思われるかもしれませんので、簡単な例をあげると、あなたの生活圏で火事があったときの気持ちと、全く知らない、知っていたとしても距離的にかなり離れている土地の火事の話を聞いたときの気持ちとでは全然違うのは体験的にわかっていただけるのではないでしょうか。近くの話を聞くと少し気をつけようと思いますし、遠くの話だとへーとくらいしか思いません。
距離が遠いと”理屈”として感じる
遠い国の出来事を聞いていると、まったく体験が伴わない気がして、どうしても感情的になれないのではないでしょうか。毎日報じられているテロのニュースが日本で毎日起きていれば気が気じゃないはずなのに、海を挟んだ向こう側の話ではまるで他人事です。歴史の話も同じです。どんどん昔の話になっていくと、事実としては理解できるけれど自分の国なのに他人事のように聞こえてしまう。戦争はギリギリ気持ちで理解できても、幕末とかになるともう別の世界のお話のように感じてしまいます。
そんな風に、私達は物理的な距離や時間的な距離が遠ければ遠いほど、理屈として、少し抽象的に捉えてしまう傾向があります。
反対に距離が近いと感情がゆれる
それでは、逆に家の近くの火事や同じ地域に住んでいる事件や出来事にはとても気持ちが揺らぎます。特別、自分に何かがあったわけではないけれど、少し気をつけようかと思ったりします。こんな風に距離が近いと言うだけで私達の気持ちは左右されます。
この2つの差を応用しよう!
例えば、ダイエットをしようとしていたとします。だいたいダイエットというのは、自分の身体を見たり、少し先の予定のことを考えてしようと思うのではないでしょうか?先程の距離の話からするとこれではとても近い問題です。近いとどうしても感情で判断してしまうので、我慢が効かなかったり衝動的なものには逆らえなかったりします。そんなときにどうしたらよいのかというと、ダイエットをするということをしっかり理屈にすればよいのです。
そもそも、なぜダイエットをするのでしょうか?ダイエットすることによるメリットは?周囲の反応はどんなことが考えられるだろうか?こんな風にして、ダイエットの距離を自分から遠くしていって理屈にすることによって、ダイエット≒今、目の前にある食べ物を食べたいという衝動から離れることが出来ます。
掃除を先延ばしにしてしまう
反対にすぐにやらないないといけないことを先延ばしにしてしまう人もあります。これを書いている私もようやく重い腰を上げて書いています。すぐに書けば早く寝れて、他にもいろんなことができるのにと思いながらもどうしても、先延ばしにしてしまいます。あとは掃除もそうです。目の前にはホコリのついたモニターが見えているのにそれすら先延ばしに。こんな風にやらないといけないのに、やったほうがいいことなのにどうしても出来ないということがあります。これは上とは反対に、自分と問題の距離を近づければいいのです。掃除をするというのはどういうことだろうか?まず、本と紙に分ける、それを本棚に並べる。紙はファイルにいれる。では、どの本から手を付けようか?その本を触るときは右手から?こんな風に、まさに今にも掃除をし始めるというところまで、やらないといけないことへの”距離”を詰めていくのです。
そうすることで、そこまでありありと想像している自分の姿が見えているので早くやってしまおうという気持ちになってやらないといけないことをやるようになります。
(書き終わったら、掃除をするために、机の書類をファイルするために右手をファイルに伸ばします…)
距離を見ている私
以上のように私たちはいろんな距離感の中に生きていて、そんな観念的な距離を”見て”判断しています。めんどくさいことがあれば距離を置いてみようとしますし、楽しそうなことが荒れば近くに見ようとします。
これはつらいことがあったときにも使える対処法です。嫌いな人がいるとどうしてもその人を近くに意識してしまっています。そんな人をどんどん観念的なものにしていって、もはやホモサピエンスのオスの一種くらいまで観念にできていれば、心に受けるダメージは少しでも減らすことが出来ます。
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