カンボジアの子供たちの生きる力
生きている意味がわからずカンボジアへ
私は生きている意味わからなくなってしまった時があり何もかもしたくなくなり一度海外に飛び出したことがあります。たどり着いた先はカンボジアのだるま愛育園という孤児院でした。そこでしばらくの間ボランティア活動をしていくうちに現地の子供達と触れ合い、言葉は通じませんでしたが様々なことを学びました。食べるご飯もまともになくお風呂や電子機器などあらゆるものがその場所にはありませんでした。小さな小さな子供達が観光客に媚びるように商売をし、手作りでものを作っては売り今日生きるために必死になっている姿を目の当たりにしました。
生きていることの喜び
私には父親がいなくシングルマザーなのですがそれが時に寂しく自分が生きていく上で重荷になっていると自分は可哀想だからと逃げ場を作っては逃げていました。でもカンボジアの子供達は違いました。母親も父親もいない、自分がどこの誰だかもわからないそんな状態でも生きることを諦めようとしている子供たちは1人もいなく、生きるということに毎日喜びを感じていました。そんな健気に生きている姿を見て私の心は救われました。
やりたいことができる幸せ
どれだけ自分が贅沢な生活をしていたか何もしていなくても生きていられる環境がどれほどに幸せなのか、やりたいことをやれる環境がどれほど大きな幸せなのかを実感しました。この時初めて私は生きていてよかったなぁと感じました。今でも辛いことはたくさんありますがカンボジアの子供たちが健気に生きようと必死になっている姿を思い出すとなんでも頑張れます。
やりたいことはできていますか
当たり前のことを幸せに感じるということはとても難しいことです。案外、自分は自分の周りのことしか見えていないものです。”みんなみたいに「ふつう」に生きていきたいだけなのに…”こういった言葉にこめられている「ふつう」こそ「ふつう」ではないのです。飛行機で5時間も行った場所では日本の「ふつう」は普通ではありません。自分の家と隣の家の「ふつう」も違っています。もし、自分が何も不自由ないあなたの思う「ふつう」になれたとしたら、何をやりたいですか。きっと、それは今のあなたもできることです。
「ふつう」じゃないから…とお悩みの方は、一度やりたいことを人に伝えてみてはどうでしょうか。親しい方に話すのが難しければ、いろんな人のやりたいことを受け入れてくれるコミュニティが実践心理学講座にはあります。
ぜひ、一度思い切って、一番やりたいことを宣言してみてください。たった一人の応援で人生は劇的に変わることもありますよ。