幸せっていけないことなの?幸せについての7つの誤解
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あなたは幸せだと胸を張っていえますか?
もしあなたが幸せだと思う瞬間があって、いつまでもそれが続いたとしたらそれをきちんと心から幸せだと思えるでしょうか?幸せという言葉を使うとどこかバカっぽく見えてしまうそんな気がしていませんか。または、幸せだと感じることさえタブーである、と、そんな風に感じいている人もいると思います。
なぜ、そんなに幸せを遠ざけるのでしょうか。実は、幸せに対して私たちはちょっとずつの誤解をしているのです。今回はそんな幸せに対する7つの誤解をご紹介します。
1.幸せは人を無気力にさせる
新婚さんが職場で少しミスをすると、新婚ボケじゃないか?とか少しからかったりしますよね。そんな風に、幸せというのは人の能力を欠如させたり、無気力にさせてしまうというようなイメージがあります。
これだけならよいですが、幸せは人から情熱や想像力を奪ってしまうものだという誤解もあります。
こういうボーっとした感覚というのは幸せからくるものではなくて、日常が毎日変わらない倦怠感からくるものです。幸せというのはむしろ人に努力を要求してくるものです。今の幸せを味わうためにはあれもしなきゃ、これもしなきゃと努力すべき項目がたくさんでてきます。そのため、それでも前向きに努力していける楽しい、嬉しい感覚こそが幸せの正体であると言えるでしょう。
2.幸せは人を利己的にする
幸せになるためには他の人を蹴落とす必要がある。私の幸せのためにすべてを手段にしてしまうそんな人が利己的に見えるのでしょう。そもそも、利己的であるから幸せになろうとする、そんな話もみかけます。
ある調査によると、人はポジティブなときには周囲の人への関心が高くなり、逆にネガティブなときは自分自身のことへの関心が高くなると言われています。さらに、楽しい経験をたくさんしている人はボランティアなどの奉仕活動を多く行うという調査結果も出ています。つまり、幸せというのは利己的なものであるどころか、かなり他の人にとっても良いものです。
他の人達に申し訳がなくて幸せになれないというのは、本当は周囲の人達の問題ではなく、自分自身になにかつっかかりがあって幸せになれずにいるのでしょう。
3.幸せは人を不安にさせる
幸せという言葉があるせいで、幸せになれるかどうか不安で、幸せにならなくてはという脅迫観念に襲われてしまいます。これが幸せには人を不幸にさせるという誤解の意味です。
幸せというのは人生において絶対達成すべき目標ではありません。幸せというのは、今そこにあるものではなく、時々現れるものです。そのことをきちんと受け入れておきましょう。幸せも不幸も自分を苦しめるのであれば、幸せがきっと訪れることにかけて待っていれば自ずと幸せなことが見えてくることでしょう。
4.そもそも幸せなんて存在しない
多くの文学作品などでは幸せはまやかしである、そんな風に描かれていることがあります。まさに青い鳥を追いかけるようなものであると。
幸せを求めていく先にはいつも不幸がある、そんな風に思っているからこそ、不幸を呼び寄せてしまいます。幸せなんて存在しないと思ってしまう人には、自分に何かしらの問題があって幸せになることができなくなってしまっているのです。
5.幸せなど広告の宣伝コピーにすぎない
いろんな宣伝コピーに幸せが包み込まれています。そのため、結局、自分が追い求めているのは企業がイメージした見せかけの幸せなのではないだろうか、そんな風に感じてしまうことがあります。
これを買えば幸せになりますよ、という見え透いたウソのような幸せがあるがゆえに本当の幸せは物質的に豊かであることに帰結してしまいがちです。
広告の幸せが嘘だと気づけているのであれば、本当の幸せとはなんだろうか?と誰かと話し合ったり、いろんな行動をしてみることこそが幸せにつながることでしょう。
6.幸せは民衆の麻薬である
昔、政治家が国民の反乱を抑えるために、物質的な幸せを用意しました。国民が物質的に豊かであれば反乱は起きないでしょう。しかし、その見せかけの幸せのせいで政府が何をしているかに無関心になってしまう。それが幸せが民衆の麻薬であると言われる所以です。
現在の日本も様々な問題はありますが、物質的にはかなり豊かです。そのおかげもあってか、国民の多くは政治に無関心です。そのため、この考え方は一理あります。私達の求める幸せというのはまったく違うところにあるものであって、まやかしの幸せに魅せられないようにきちんとした意識を持つことも必要になってくるでしょう。
7.幸せは低俗である
幸せは決して、低俗なものではありません。このイメージは昔からの知識人と呼ばれる層の人達が生み出したまやかしです。知識人は自分たちがその知識があるがゆえにうまく幸せになれなかったために、幸せを蔑んだ評価を下してしまいました。みながもとめている普通な幸せを下見ることで、自分こそが本当の知的な幸せを知っている、そんな風に見せているのです。
まとめ
幸せって思っていたよりもいろんなところにしがらみがあって、幸せそのものというものをなかなかつかむことができません。だからこそ、まわりからどう思われるかわからなくて、幸せだと言うことができない、そんな風に幸せを見なくなっているような気がします。
でも幸せは誰のところにもあるものであって、受け入れていいものです。問題は幸せを受け入れる準備ができているかどうかです。その準備ができたとき、幸せというのは毎日のそこかしらに見えてきてあなたの人生を輝かせてくれることでしょう。
参考)『こころのレシピ』幸せと不幸のルール クリストフ・アンドレ著