弁当部といわれた息子
全然勝てない弁当部の弟
息子は中学2年生になってから柔道部に入部しました。
小学生の時に警察の柔道クラブに2年通っていただけで受け身しか習っていないのに中2になって柔道をやり出したのです。入部して1~2か月で新人戦に出場しすぐに負けてしまいました。その試合では緊張してしまい棒人間の様でした。それから負け試合を何回もやっていました。口の悪い姉達は試合に出ては1回戦で負けて帰ってくる弟の事を弁当食べて帰ってくるだけの弁当部と呼んでいました。
しかし、それが少しずつ勝てるようになり団体戦のメンバーにも選ばれる様になりました。夢中で練習と試合をしてアッと言う間に3年生になりました。
三年最後の大会
3年生は夏休み前半の県大会で引退になります。最後の県大会は東金アリーナで車で1時間かかります。
私は最後の団体戦をどうしても見たくて一人で運転して東金アリーナまで行きました。団体戦は先鋒、次鋒、中堅、副将、大将の5人で闘って3人勝ては勝ち抜けです。息子は次鋒です。トーナメント表を確認すると一回戦少なく有利だと思い勝機はあると応援しました。
先鋒が一本を取り息子の番になったら自然と涙が溢れて試合が良く見えません。落ち着いて試合をしている息子とは正反対に私の指は震え「勝って」と願うばかりの体たらくです。息子の家では見せた事がない静かな闘志が伝わってきます。
なんと、弁当部だった息子は一本を決めて次の中堅へ繋ぐことができました。
中堅、副将が負けてしまいましたが大将が一本を決めて勝ち越しました。次の試合も同じ様に先鋒、次鋒、大将で勝ち抜けました。
気がつくとベスト16に残っていました。弁当部だった子供達が勝ち抜けて最後の夏を闘っていると思うと涙と鼻水が止まりません。いつもはおふざけばかりですがコーチの指示を素直に聞き入れ一丸となって闘っている真剣な姿に感動し引き込まれてしまいます。
41歳のときの子供
息子は最後に生まれた子で上の姉達と6歳離れています。妊娠を知った当時は41歳で産むか産まないか悩みました。出産時、私の貧血が酷く母体が危ないと言われました。それが15年経ち震える程感動させて貰えるとは思いませんでした。結果はベスト16止まりでしたが息子の15年の人生の中で一番感動させられました。生まれてきてくれてありがとうと息子に思います。
そして自分にもあの時死ななくて良かったと思います。そうそう感動などないこの頃ですが、毎日柔道着を洗濯し週末は弁当を作り、怪我すれば医者に通い、落ちこむ息子のお尻を叩き過ごしてきました。そんな日常の積み重ねがあっての震える程の感動なのだと思いました。
マイナスな出来事は幸せの種
実践心理学講座にいると、うつ病で不幸のどん底にいるような人もいます。
しかし、椎名先生もうつ病を8年もわずらっていて、現在は心理カウンセラーとして非常に活躍されています。
つらかった出来事があるからこそ、ほんとうにやりたいことが見えてくることがあります。
そんな風にとってもつらい出来事を糧に現在活躍されている実践心理学講座出身の方がたくさんいます。それは順風満帆な人生を歩んでいれば見つからなかった人生かもしれません。ひょっとしたら、順風満帆なときよりもお金を稼いでいるなんてこともあるかもしれません。
今、とってもつらい気持ちの方は一度、実践心理学講座に足を運んでみてください。
つらいことをどうやったら幸せにつなげられるかを知っている先輩がたくさんあなたを待っていますよ。