失敗があったからこそある命
順風満帆な人生、大学受験の失敗
それまでの人生は、順風満帆とまではいきませんが、概ね平穏なものでした。
そこそこな職業の父、多少口うるさいがまあ美人な母、頭が良く温厚な性格の兄。家族は円満で、喧嘩することもほぼありません。小学生のときから勉強やスポーツに苦労するということもなく、いじめなどの問題を抱えたクラスに当たることもありませんでした。
そんな私が大きく躓いたのは、大学受験の失敗でした。
A判定に油断しきっていて、志望校ひとつの専願で受験し、当日の体調不良もありおもいっきり滑ってしまったのです。
家族は一浪して頑張ればいい、といいます。
私も理性ではその通りだと思っているのですが、友人のほぼ全員が合格していて、それぞれの道にすすみだしていくのを横目に、どうしようもない劣等感と出遅れ感でこれまでにないほどの落ち込みを経験しました。
母が重い病気に 家族はドン底へ
悪い時には悪いことが重なるもので、母が大病を患いました。みるみる痩せていく母を、家族一丸となって支えようとしました。
治療には信じられないほどのお金が掛かります。
普通の入院の部分だけでも月に30万を超え、高額の薬や治療を含めると一気に家計に火がつきました。
私は両親の年が行ってからできた子供でしたので、父は既に定年退職をしています。
一年としないうちに、私の大学用の資金もなくなってしまいました。
私は自分勝手にも、こんなタイミングで病気になった母を恨みました。
志望校を自宅から通える国立大学に絞らざるを得ず、ただでさえ難易度が高くなっているのに、受験勉強がろくに手につきません。
さらには主婦が入院してしまったので家の中はあっというまに雑然とし、家族がギクシャクとし始めました。
思えば、その頃が私たち家族にとって一番どん底で、苦しい時期でした。
突然の兄の退社
そんな、鬱々とした日々を送っている中、兄が突然会社を辞めました。
ただてさえ金銭的に苦しいのに何を考えているのか! 喧嘩腰に言う私に兄は「こんな時だからこそだ」と言います
兄は余命宣告を受けた母の介護と、すっかり老け込んでしまった父の面倒と、苛々している私の勉強を見始めました。
兄は理系大卒の技術職で、文系の私の勉強を見るのはいささか厳しかったはずです。それでも、毎日6時間以上狭いこたつ机に膝を突き合わせて勉強につきあってくれたのです。
おかげで私は、翌年の受験をなんとか乗り切ることができました。
一番喜んでくれたのは母だったと思います。
嬉しそうな母の顔を見て、久しぶりに家族に笑顔が戻りました。
失敗にも意味はある
余命宣告を受けたにも関わらず、母は命を繋ぎました。
高度の治療を選択できたのは、ある意味私の受験が失敗したからです。
世の中の全ては、こうやってなにか因果があるのでしょう。
私が今生きて、年老いた両親のそばにいられるのも、すべて意味が有ることです。
生きているだけで、意味はあるのです。
不幸のドン底にいるあなたにも
今、失敗や不幸のどん底にいると感じている方いるのではないでしょうか。この人はたまたまうまくいったから、私には縁がない、そんな風に感じている方もいると思います。月並みな言葉ですが、本当のドン底にいるのであれば、あとはあがるだけです。今の失敗はきっと将来役に立ちます。役に立てられるかどうかはあなたの気持ち次第です。きっと何かの役に立つと思って、その失敗を味わっていないと成功への糸口は見えてこないかもしれません。
失敗や不幸こそ次へのビックチャンスへの第一歩です。実践心理学講座には、そうやって失敗や不幸をチャンスに変えた人がたくさんいました。どんな風に考えていれば、次につながるのかその答えがこの講座にはあります。