大切な人の心の様子を理解したい。チカラになりたい。そう思う人が増えています。以前は「傾聴」とは、心理カウンセラーのための言葉に近かったですが、最近では「経営」「営業」「教育」「医療」「デザイン」などさまざまな分野でこの言葉を聞くようになりました。

目 次
1.傾聴とは
2.傾聴において重要なことは
3.普通の会話との違い
4.聞いてもらえた感じがするか?


1.傾聴とは

傾聴とは「話をじっくりと聞くこと」と広い意味では言えます。忙しい現代ですから、すれ違いざまにパパッと用件を済ませたり、メッセージなどで処理したりしていて、じっくりと価値観をぶつけ合ったり、考え方を聞く機会が少ないことも「傾聴」がクローズアップされてきた背景にあるかもしれません。

また、専門分野が細かく分かれすぎていて、代々の農家なら日常的に子供の頃から親の仕事を見ることができた社会から、自分以外の人の作業が見えない社会になってきました。

 

傾聴の大きな特徴は3つあります。

1)「聞き手」と「話し手」

傾聴とは、話し手の話を聞き手が聞くことと言えます。お互いが対等に好きなことを言うのではなく、話し手が伝えたい感情や場面、世界観を聞き手が丁寧に受け止めていきます。

2)集団ではなく、1:1

会話にはさまざまな種類がありますが、傾聴は基本的には1:1です。大勢で雑談をするような会話の仕方ではなく、1:1で向き合って、じっくりと話を聞きます。良くも悪くも第三者の作り出す雰囲気や流れに乗ることなく、話し手が中心となって、話をします。

3)「情報」より「気持ち」

警察の事情聴取などでは「場所」「時間」などが重要な要素になるかもしれません。それは「情報」です。一方で傾聴で重要視されるのは「気持ち」です。仮に場所を勘違いしていたとしても重要なのはその人がどんな気持ちになったか?です。「情報」を聞き慣れている人はつい話のつじつまや表現方法などを気にしてしまいますが、傾聴においてはそれはあまり重要ではありません。そのエピソードにくっついている気持ちが大事なのです。傾聴をするとき、話し手は情報ではなく、気持ちを伝えようとしています。

4)「傾聴」という言葉の意味の個人差

傾聴とは?と質問すると人によって答えが大分違います。心理カウンセラーの資格にもよりますし、教える人によっても大分解釈が違います。また、社会に求められる傾聴とは?と考えた場合、時代や場面によっても傾聴のあり方が違ってきます。

実際にやってみると人生経験がものをいう
傾聴とは、人の意見に耳を傾ける事と思いますが、聴いているうちに自分自身の言いたいことや伝えた方がいいと思いことは言ってしまいます。自分ができあがっている人というのは、その意見になかなか傾くのが難しいようです。臨機応変にいたいとおもいますが、言葉の使い方や意味の違いが聞きながせるかという気持ちもありますから、どうでもいいと思って聴いていた方が会話もすんなり済みます。又、そのほうが上手くやり過ごせ、相手の気持ちもわかったような気分がする時があります。
聞いていると、なんだか正したくなる言葉も相手を押さえつけず聞くことが尊重することだと気がつくことも多いです。つい、自分自身が納得できるようにと思いがちですが、ただ聞くだけが大事だという時もあるようになりました。話しを聞くことは、話す人が居ないとできません。そんな人が身近にいることの方が貴重になるよう、聞き上手に徹すると、自分の聴こえ方が変わってきたと、受け止め方の違いが出てきました。人生経験がものをいうことかもしれません。他人の人格が現れる話しを聞けることは、面白いことです。傾聴することの方が多いですが、人の話を聞くことが上手くできると、聞いて分かるだけで無駄が省けたと感じることで得した気分になれます。

来談者中心療法としての傾聴
「傾聴」には、いろいろな定義があると思いますが、臨床心理学の分野では、アメリカの心理学者カール・ロジャースの提唱した「来談者中心療法」における、カウンセラーが身につけておくべき基本的なスキルとして扱われています。具体的には、傾聴には、受容、共感、自己一致という3つの基本姿勢が必要であるとされています。私は教育現場に携わる仕事をしていましたが、傾聴の姿勢でもって保護者や生徒の話を丁寧に聴くということはそんなに簡単なことではないという実感があります。例えば、聴く側が、共感しようと思っても出来ない内容が語られることもよくありますし、それを真の意味で共感的に傾聴することは難しかったりします。これは、教育現場の話ではありませんが、相手が統合失調症などの精神障害を抱えておられる方であった場合、妄想などが語られたら、やはり、それに対しても共感的に傾聴することは難しい場合があると思われます。この傾聴のスキルは、ある程度、健康度が高い方に対して有効かもしれません。または、精神障害のある方に対しては、その病理を理解した上でなければ、傾聴ばかりしていても、かえってそれが治療的でない場合もあるでしょう。いずれにしても、傾聴とは、相手の心に徹底的に寄り添おうとしたときには必要になってくる基本的な姿勢のひとつだと思います。

当事者としての傾聴
傾聴は、聴いてもらう側としてはとても「不思議な体験」であると思います。私は何度かこの系統のカウンセリングを受けたことがありますが、確かに人間と話しているのだけれども、「何かアドバイスされる」「意見を言われる」というようなことがないのです。単に共感されるのではつまらないのではないかというと、そうではなく、何故かまた、話を聴いてもらいたくなるのです。ここが傾聴スキルを習得している人のテクニックだと感じました。また、当初の訴え・悩みではないことが、自分から引き出てくるのも感じます。ただしそれも無理矢理に引き出されているのではなく、「自分から」出てくる感じがとても強いですね。面白いのは、「仕事が上手く行かない」というようなことも、「上手く行かないことをなんとかしようとしている」といったように考えが変わり、「何かをなんとかしようとしているのは、良いことなのではないか」などと、さらに変わったりしていくことです。こういう発想の転換なども、「このようにも考えられます」と傾聴してくれる人が言うのではなく、自分から出てくる感覚であることが、ポイントだと思います。一般人でも「傾聴的なこと」が上手い人がいますが、そういう人でも意見やアドバイスはどうしても出てしまいますし、もし意見やアドバイスをすべて抑えてくれたとしても、今度は際限なく話し続けることになったり、聴き手側が疲弊してしまうこともあると思います。また、共に悩みすぎるなど危険性も感じます。私にとって、傾聴型カウンセリングはやはり特別で不思議なものです。「あの人達とは随分と話して、元気になったのだけれど、結局何を話し、何の話が悩み解決のポイントになったのかは、あまり憶えていない」こういったようなのが、私の感想です。私は社会人になってから心理学も修めていますが、臨床心理領域はあまり深く学ばないようにしています(人の悩みなどにあまり関連しない心理学を学んできています)。それはなぜかというと、また自分が傾聴型カウンセリングなどを受けることになった際、あまり必要以上の知識がない方が、良いだろうと思うからです。言ってみればそれぐらい、傾聴が特別な経験であり、貴重なものだと考えているということです。

働き方改革における傾聴の役割
私が考える「傾聴」とは、まずは相手の話を黙って聞くことだと思います。年齢が高くなると、若い世代の話を十分に聞かずに、自分の考えを押し付けるようなこともありますが、それでは、若い人は委縮してしまい、話をすることを諦めてしまいます。それを避けるためにも、まずは、あなたの話を聞きますよという気持ちを伝えて、きちんと時間を決めて、話を聞く姿勢を見せることが大事だと思います。
電通の過労死自殺の事件が明るみに出て以来、国をあげて『働き方改革』が叫ばれています。会社は、社員などの人数を増やすこともせず、業務量の見直しもせずに、『働き方改革』だけを取り入れ、午後10時以降の残業を禁止したり、残業しても認めないなどの方法で、結果としてサービス残業が増える事態になっています。部長と直接、話ができる社員は良いのですが、入社間もない若手の社員は、泣く泣く仕事を家に持ち帰ったり、こっそり会社に残って作業をしても、残業の申請ができずに、月に数十時間のサービス残業をしているようです。そんな若い人たちの話を聞き、意見を求められたら、部長にどう話をすれば良いか、何か手伝ってほしいことはないか尋ねて、具体的なサポートを求められれば、可能な限りお手伝いをしています。そうすることで、やる気をなくしかけていた若い社員が、また頑張ろうと思ってくれるようになりました。

傾聴を取り入れると子どもとの関係が変わる
傾聴とは言葉を耳に通すだけの「聞く」ではなく、相手の話ぶりや間合いにも秘められた感情も丸ごと「聴く」ことだと思います。相手の気持ちや考えを否定することなくただ聴くには、聴き手の在り方が問われます。傾聴をスキルとして活用してしまうと肝心な点がおざなりになり、相手には不快感として伝わることになります。子どもとの関係性向上に傾聴を取り入れてみると、いかに子どもの考えを私自身が否定しているのかが浮き彫りになりました。
何でそう考えるのか、おかしくないか、といった私の気持ちが先行すると、子どもは分かりやすいので、すぐに本心を話すのを止めます。そういう考えもあるんだね。といった受け止め方をすることで、子どもはより豊かな感情で考えや想いを伝えてくれました。傾聴のやり方に囚われて、普段はしないような目を見開いたような表情や前のめりの相槌は、近い関係性の相手には逆効果になるので注意が必要だと思います。初対面の人やビジネスでは、傾聴のやり方がもともと備わっている人として関係性を築き始めていくと、効果的に良い印象を与えることが出来たり、交渉が優位に進める可能性が高まります。傾聴の効果に頼り切ることなく、一つのスキルとして自然と立ち振る舞いが出来るように精進していきたいものです。

コミュニケーション手段としての傾聴
傾聴とは、人に話をただ聞くのではなく、注意や関心を持って耳を傾けることだと思います。人は皆、自分の話を興味深く聞いてくれると嬉しいものです。面白い話をする人よりも、自分の話を面白がって聞いてくれる人の方が重宝がられます。噺家やプロの漫才師の話ならともかく、一般の人の話はオチもなかったりしてなかなか聞くに耐えない場合もあります。たとえば、私の母は何度も以前聞いたことにある話を何度もすることがよくあるのですが、「その話、聞いたことがあるよ」と言ってしまうと、せっかく楽しそうに話しているのに水をさすことになるので、いつも「へえ、そうなんだ」とか「すごいね」と初めて聞いたかのように振る舞います。
また、女友達が旦那さんや子どもとの人間関係の愚痴を言っても、とくにアドバイスを求めていそうでなければ、親身になって話を聞いて相槌を打つ程度に留めておきます。このような場合は、ただ自分の気持ちを受け止めてほしいという場合が多いからです。
このように、傾聴とは私にとって身の回りの大切な人たちとのコミュニケーションの手段です。相手のことを大切に思っているからこそ、相手の気持ちや発言に心から耳を傾けることができるのだと思います。

お客様をつかむための傾聴とは?
接客業に3年ほど従事していた際、着任した当初はよくクレームを拾っていました。特段気に障ることも言っていないし、態度も取っていないのにどうしてだろうと、当時の自分の言動を顧みた時、接客のプロとも言うべき先輩の接客の姿勢から「傾聴」がいかに相手、すなわちお客様の心を掴むことが出来るかということを学び取ることが出来ました。先輩の姿勢を真似、自分なりにお客様の反映してほしい要望、想い、また世間話に至るまで聞き出すことで、相手の心を懐柔し、最初はお怒りであったお客様の態度も自然とほぐれ、笑顔を持ってまた、親しみを持っていただける程になった経験が幾度となくあります。
相手への興味、寄り添う姿勢、そして心。単に机上のテクニックではないこういう「おもてなし」の心を持ってこそ、初めて傾聴という姿勢に通ずるのだと思います。やはり、興味もない相手へ「聴く」という姿勢は産まれません。何事にも目の前の相手へ興味を示すことで相手の心の裡を聞き出すことが出来るのではないでしょうか。ですので、経験を重ねるうち、嬉しいことに自然とクレームも頂かなくなり、万が一、最初はクレームを受けたとしても最後は「ありがとう」と言っていただけるまで、傾聴の姿勢が備わった貴重な経験をさせていただきました。

昭和の傾聴・平成の傾聴
昭和の時代の親たちは子供たちに対して、「会話は相手の目を見ながら行うもの。相手の目を見て話し、そして相手の話を聞く」という意味の教育が普通に行われていました。それは正に、傾聴という言葉に通じるものではないかと思います。もちろん、そうした教えは大人たち自身も身に付けておくべき心得として考えられていました。ですから親は子供と正面から向き合い、子供の目を見て話を聞いていたのです。私の親もまた、そのようにして当時子供だった私の話にも耳を傾けてくれていたものでした。昭和の時代は、それが当たり前の親子の会話だったのです。
ところが平成の今の時代は、親子の会話もドライになってきたように感じます。親も子も、正面から相手の目を見て会話をすることが減ってきているのではないでしょうか。こうした傾向は家庭内だけではなくて、一般社会でも多く見られるようになったと感じます。それはつまり、相手の話を傾聴することが減ってきた、あるいは苦手になってきているのではないかということです。
とにかく人の話を聞く時は、基本的に相手の目を見て聞くべきだと思います。そうすれば、自ずと傾聴する習慣が身に付くはずです。そうすれば、特に努力することもなく相手の話の真意もすんなり理解できるようになるのではないかと思います。

 


2.傾聴において重要なことは

一般的に傾聴とは相手の話を「聞く」とか「受け止める」とかあるいは「うなずく」といった表面的な所に重点が置かれがちです。しかし、傾聴において最も重要なのは「相手と自分がつながっている感覚を維持する」ということにあります。

例えば、恋愛をしているカップルが見つめ合っている時、お互いが何かつながっているような感覚を感じることがあります。あるいはスポーツや仕事でチームとして一体となって活動している時などはお互いがつながっているような感覚を感じます。

「傾聴とは?」ホワイトボードより

そんな時には相手の考えてる事、頭の中、気持ちが伝わってくるかのようです。

傾聴において最も重要なのはその感覚です。

うなずく回数や視線、セリフ等に意識が向いて相手との一体感が薄れてしまっていては意味がありません。よく「聴く」という字は「耳」と「目」と・・・のようなうんちくや説明がありますが、傾聴の現場と「言葉遊び」にはだいぶ感覚的な開きがあります。大好きな彼氏、大好きな彼女と一緒の空間を味わっているときに「耳」と「目」と「心」で・・・なんて考えませんよね。魂が繋がっているようなそんな感覚の方が近いはずです。別の記事で詳しく述べますが、理屈は左脳的な思考を呼び、人とのつながりを遮断してしまいます。考えるという事はその人と切り離された思考の世界に行ってしまう事を意味するからです。

傾聴とは、
相手との一体感を感じながら、相手の言葉、話を受け止めながら聞くことをいいます。


3.普通の会話との違い

一般的な会話は話し手と聞き手の立場は五分五分です。したがってどちらがどれぐらい自分の主張したり相手の話を聞いたりするかを臨機応変に選ぶことができます。

しかし、傾聴の場合は話し手と聞き手の役割が明確に分かれています。

聞き手の言葉は話してがより話しやすくなるため、あるいは話し手の伝えたいことをきちんと理解したと言うことを伝え返すためなどに使えます。つまり、会話の中身はほぼ100%話し手が伝えたい事で構成されている必要があります。

「傾聴とは?」 ホワイトボードより

これはインタビューなどによく似ています。インタビューでインタビュアーが自分の主張述べたり、自分の解釈を話す事はあまり意味がありません。それよりも与えられたインタビュー時間を話してが話したいことを話す時間にするべきです。

日常会話とは異なる傾聴という特殊な話し方をすると意識して傾聴すると良いと思います。

傾聴とは
五分五分ではなく、話し手が中心となるコミュニケーション方法です。


4.聴いてもらえた感じがするかしないか?

傾聴の最低限の目的は「聴いてもらえたな」と感じることです。

最終的に相手が「聴いてもらえた」と感じるには何が大事でしょうか?

ただただ、たくさん話をしてもらってもそれは傾聴とは呼びません。傾聴を学ぼうとする方にはおそらく大事な人がいます。そして、その人の気持ちを癒そう、ほぐそう、元気にしようと思うからこそ「傾聴」について調べているのではないでしょうか?

傾聴の最初のゴールは
「話を聴いてもらえた」という気持ちになってもらうことです。


<大切な人のために生かす傾聴>

我が子のために傾聴を学ぶ人が増えています。なぜならば、自らの手で苦しんでいる我が子を助けたいと思うのが親心だからのように感じます。子どもの視点から考えると傾聴して欲しいのは他人のカウンセラーさんではなくて、自分の人生をみてきてくれた親なのです。

また、職場でもそうです。信頼している上司に話を聞いて欲しい。理解して欲しい。と願う人がたくさんいます。外部のカウンセラーさんは社内の大変さがわかっていないですから、傾聴ができるなら上司や同僚に話を聞いて理解してもらえたら最高です。