実践心理学講座スタッフの浜端望美です。

不登校やひきこもりをきっかけにカウンセリングに訪れた高校生たちから、「大学に合格しました!」という嬉しいお知らせが増えてきました。

大学受験と言えば1月以降が本番というイメージがありますが、最近は少子化の影響でAO入試をはじめとする、推薦入学制度を設ける大学が増えてきています。

学校によっては、学生の半分が推薦入学。一般受験で入った学生が半分しかいない、というところもあるくらいです。

私は勉強して一般受験で入学したので、推薦入学して高校3年生の秋には進路が決まっているなんて羨ましい限りです。

 

アルバイトで広がる人間関係

大学合格と一緒に報告されるのが、「〇〇でバイトはじめました!」ということ。

しばらく勉強する必要はないので、このタイミングでバイトをはじめる高校生は多いです。

特にカウンセリングを受けていた子たちは、不登校をきっかけに通信制高校や単位制高校へ通っている割合が高いので、もうほとんど学校へ行かなくても、卒業できる単位は取り終わっている。という状況。

バイトをはじめる理由はいろいろ。
なんとなく暇だから。車の免許をとりたいから。
不登校→転校で、親に余計なお金を使わせてしまったから学費を返したい。なんて言う子もいれば、
大学生になって彼女を作ったときに、デート代がお小遣いだったらダサいから。という気の早い子もいます。
もちろんまだ彼女はいません(笑)

それまでは家と学校の往復だけをしていたのに、
“バイト”という要素が加わると、世界が急に広がります。

親とこども
先生と生徒
友だち同士
ある程度守られた環境にいたところから、社会人として、社会の一員として見られるようになります。

バイトとはいえ仕事には責任が伴います。
まだ高校生だから、はじめてだから、不登校だったから、、そんな言い訳は社会では通じません。

「うちの子には厳しいのでは?」と感じる保護者の方もいるようですが、
実際には、「仕事を任されている」という自尊心や、
「少しずつだけどできるようになってきた!」という達成感を味わい、
バイトをはじめたとたんにグッと大人っぽくなる子が多いです。

保護者や学校の先生、普段から密に接している大人の方が、
幼い頃の印象を強く持っているせいで、高校生の成長度合いについていけないのかもしれません。

「自分はコミュニケーションが苦手だと思っていたのに接客が楽しい」という子もいます。
同じ年の人と曖昧な横の繋がりが苦手だった子は、年上と関わったり、
ある程度肩書きの与えられた人間関係を体験することで、
新しいコミュニケーションの型を手に入れることができます。

こちらの新しいコミュニケーションの型の方が、実は自分に合っている、という子も非常に多いです。
できなかったのではなく、試してみる機会に恵まれなかっただけ。

年の離れた先輩やバイト先のお客さんに、かわいがられている様子を楽しそうに話す姿から、
生き生きと働いている様子を想像して、私も嬉しくなります。

たくさんのコミュニケーションの型を持っている人は、柔軟な人。
どこへ行っても困らない、ある程度うまくやっていけるという人は、このコミュニケーションの型をたくさん持っているのでしょう。

 

「学校へ行っていないからバイトをしよう」だと続かない

不思議なもので、「不登校で学校へ行っていないからバイトをしよう。」
と言ってアルバイトをはじめても、長続きしない傾向があります。

これはおそらく、基盤の問題です。

学校という軸があって、プラスアルファでバイトをしているのと、
学校へ行けていないからバイトをしているのでは、行動は同じでも捉え方が全く違います。

後者の中には、学校へいっていないくせに、、という後ろめたい気持ちや
劣等感を抱えながらバイトをしている子がいます。
心が安定していないのです。

18歳まではこの傾向が非常に強いです。
不思議なことに、同じバイトでも19歳になるとこの傾向は弱まります。

中学校を卒業後、日本人の98%が高校へ進学します。
18歳までが義務教育ではないかと思える程の割合です。

そのため日本人は無意識的に、18歳までは学校へ行くもの(=学校へ行くことが普通)と思い込んでいます。

学校へ通うという当たり前のことが、自分には欠けている。
はっきり言葉にはならなくても、この感情はどこかに確かにあって、何かの拍子にふと顔を出す。

毎日気にしているわけでも、それほど意識しているわけでなくても、
「なんだか今日は気が進まないな」
「最近ミスが多いな」
こんなちょっとしたことでも、心が折れやすくなります。

そんな高校生の姿を目の当たりにして、
家庭でも学校でもバイトでも、どこでも良いのですが
なんの根拠もなく(そんなこと意識しないくらいに当たり前に)所属していられる、
そんな居場所が人には必ず必要なのだと思わされます。

これは大人もこどもも同じことですね。
あなたや、あなたの周りの人には、当たり前に存在していられる居場所はありますか。