神奈川県のとある高等学校で講演してきました。いろいろな高校で講演をしていますが、生徒たちの身なりが整っていて、挨拶ができ、字が綺麗。事前に調べたらかなりの進学校。どんな生徒がいるのか、どんな出会いがあるのかワクワクして学校に向かいました。

校舎がグラウンドの奥の方にあるので、ソフトボールをする様子。テニスをする様子を横目に見ながら、講師控え室へ。お迎えいただいた先生たちも誠実で感じよく、講演への期待が高まります。

時間になるとイケメンでクールな生徒が呼びに来てくれました。階段を上る道すがら、学校についても気さくに教えてくれました。今いる校舎は新しいからピカピカだけれど、床がギシギシなるような校舎が隣にあるんだということ。司会をしないといけないから不安だということ。そうこうするうちに会場である教室に招かれました。1つの教室に生徒が入れ替わり入って来る方式でした。

目 次
1.感想文
2.間接的会話の違和感
3.心地が良い生徒の司会
4.講演
5.先生の思い

 


1.感想文

講演のご褒美は「生徒の感想文」
学生は無記名ということもあり、「特ありません」と書いたり「眠くなった」と書いても良いので、手により読み始めるまではいつも緊張します。僕の話は難し過ぎなかっただろうか?気分が悪くなった子はいないだろうか?眠くなったと言われちゃうかな?とドキドキしながら、帰りの電車でこそっと読むのが何よりのご褒美になります。学校側の許可を得て、感想文を以下にご紹介します。(随時加筆していきます)

「仲間」という存在が大きい
私が通っていた中学校にも1学年で10人以上の不登校の友達がいました。しかし、友達として廊下であっても話をしたりすることができませんでした。そのため、今回の話を聞いて、その友達がカウンセリングに通っている気持ちがよくわかりました。また、カウンセリングに通って悩んでいる子達にとって「仲間」という存在が大きいことを知りました。

遊んでばかりだったけれど
椎名さんの話を聞いて、今の自分の生活がすごい恵まれていることに気づけました。最近はずっと遊んでばかりで勉強とかにも不真面目だったからもう一度自分が今できることを見つめ直して可能な限りできるたくさんのことをしてみたいと思いました。勉強とかも自分のためではなく、周りの人のためになると思えば頑張れる気がしてきました。

苦しんでいる人のために少しでも
言葉ではあまりよく表せないけれど、とても伏木が気持ちになりました。世の中には自分と全く違う状況に置かれている人がたくさんいて、だけどその人たちとの交流の場がないということはとてもそう思いました。自分は今までとても恵まれた環境で生きてきて、苦しんでいる人の話を聞くことはできないかもしれないけれど、少しでも力になれることがあればやっていきたいと思いました。

存在することの大切さ
自分の人生の中で辛いことがあってもその経験を他の人に還元しているところがすごいと思いました。あきらめなければ、いつかうまういくということがよくわかりました。目指す大人と出会うべきだというアドバイスを参考にこれからの高校生活を過ごしていきたいです。また、ドラえもんを例におっしゃっていた存在するということの大切さについては絶対に忘れてはいけないと思いました。

生きていく上でもっていたいもの
「いてくれてありがとう」という言葉がすごく印象的でした。私も椎名さんのお話を聞くまではごく自然に「勉強ができる→身の回りのことができる→偉い」という考えを自分が持っていることにすら気づきませんでした。自分の今まで見ていたものとは違う、生きていく上で持っていたいものを感じることができた気がします。ありがとうございました。

本当にそうだなと思った
心のつながり方でこんなに見えてくるものが違うなんて驚いた。椎名さんの言うことは今まで当たり前のように聞かされてきたような話とは違って、本当にそうだなと思うことができた。引きこもりやうつ病のことを考えることはあまりなかったけれど、お話を聞いて、辛さや寂しさが自分の小さい頃に感じていたものと重なって共感した。

 


2.間接的会話の違和感

教室に入って、先生が目に入ったので「よろしくお願いします」と言ったらスルーされました。そして先生が生徒に「挨拶と司会をやりなさい」のように指示をします。生徒がこちらを向いて、「今日よろしくお願いします」と挨拶をしました。(いや、さっき廊下で散々仲良くなったよな!)と思いつつも「お願いします!」と答えました。先生に目をやると視線を合わせてくれません。社会において、どんな関係性でも同じ場にいて、挨拶しない大人はありえないです。部下に「挨拶しておきなさい」なんてことはないのに。実は偶然ですが、僕がカウンセリングしている生徒の中にこの学校の生徒もいるので、先生に少し挨拶や雑談をしたかったのでブロックされたようで寂しい気持ちになりました。

みみっちい話を話題にしていますが、冷めた家庭、冷めた職場ではこういう間接的なコミュニケーションをよく見かけます。お父さんが疎外されている家庭では、お母さんと子供がお父さんの目の前で「お父さん、ご飯食べるのかな?」「食べんじゃない?」というような会話をしていて、お父さんに直接「ご飯食べる?」と聞くことを避けます。直接話しかけるのが嫌なので言葉を聞かせたりして、察してもらうのです。こういう間接的な会話、透明人間扱いされることはうつ病経験がある僕にとっては古傷が疼くような嫌な感覚を覚えました。


3.心地が良い生徒の司会

明らかに緊張した風の男子生徒が大きく息を吸ってから、「社会人講座始めます」のように挨拶を始めてくれました。思ったよりよく通る綺麗な声で教室の隅々まで彼の言葉が通っていくのが心地が良かった。(やればできるじゃん!)と少しホッとして、「自分の講義のつかみを考えないとな〜」と思った瞬間に「今日の講師は椎名雄一先生です。よろしくお願いします。」ときた!(紹介、名前だけかよ!はやっ!)と思いながらも話し始めました。

 


4.講演

1)自己紹介

最初は僕自身のうつ病経験や自殺未遂などの生い立ちを生徒の様子を見ながら話しました。進学校だけあってか、「幼稚園受験」「公文式」「東進スクール」のキーワードにもよく反応していました。体罰を受けた場面でその時を再現するようにしゃがむと教室の後ろ半分の生徒がガタガタと立ち上がったのが印象的でした。(ちゃんと聞いてくれてありがとう)

自己紹介の間も生徒たちの顔を見ているとほぼ全ての生徒が目を合わせてくれました。DVやうつ病の話の時には目が赤くなる子が何人かいました。仕草から悩みを本人が抱えている子が2,3名、家族の問題の子が5名ほどいるとわかりました。全員がつらさに共感してくれたので、明るい未来に話をつなげました。僕が「ありがとう」という言葉でチカラをもらったことや多くの仲間とつながって今があることなどを通して、「こんなに落ち込んでもやり直せること」が伝わったら良いなと思いながら自己紹介を閉じました。

2)カウンセラーの職業観

心理カウンセラーには3つの素晴らしいことがあります。
1つは心と心をつなげる仕事であることです。モノとモノ、データとデータ、組織と組織をつなげる仕事もありますが、カウンセラーは親と子、上司と部下、健康な人と病気な人などの言葉にしにくい心の叫びを聴き続け、理解し、人と人の間に立ちはだかる壁を越えて人をつなぐこと。それはとても素晴らしい役目だと感じています。
そして、2つ目は自分にそっくりなクライアント(患者)の相談を受けていると自分の当時が思い出され、母にそっくりなクライアントを通して母の気持ちを知り、父にそっくりなクライアントを通して父の気持ちを知ることができます。「ああ、あの時親父はこんな風に悩んでくれていたんだな」そう思うと自然と感謝の気持ちが湧いてきます。普段触れることのできない人の心を通して自分の人生が変わっていくことも素晴らしさの一つです。
最後は一見マイナスと思われる経験こそが生きる仕事であることです。うまくいっている時に使うのはスキルやツールですが、うまくいかなくなった時には愛情や覚悟などが役に立ちます。マイナスと思われる時にこそ、人としての学びが大きくなるのです。

心理カウンセラーになりたいという生徒もいたので一生懸命に聞いてくれてとても嬉しく感じました。

3)存在を大事にする考え方

自分も進学校に通った経験があるのでよくわかりますが、「成績が良ければ良い」「スキルが高い方が良い」「学歴が高い方が良い」と自分をコンピューターのようにバージョンアップしていきます。その一方で失われていく、人としての存在の大事さ、機能が低い人と高い人で何も違わないという当たり前のことがわからなくなってきます。講演の中で彼らに問いかけたら、彼らは「成績やスキルより大事なモノがある」と答えてくれました。自分自身の存在は機能性によるモノではないということをわかってもらえたと思います。例外的な人は除いて、親は子供の能力が低いからといって「いらない」とは思いません。万が一、悪い考えに染まり、悪い行動をしてしまったとしても「いらない」と言わずに支えてくれようとするのが親です。社会では悪い考えから行動すれば逮捕されたり処罰されますし、能力が低ければ学校や会社から排除されます。それでもその人を信じ、大事にするのが本当の人間関係だと僕は考えています。

普段あまり言葉にしないことですが、僕はカウンセリングをすると決まった瞬間に相手の性格や地位などに関わらず、「自分の子供と同等に扱おう」と決めます。その人の考え方が万が一反社会的であったとしても、その人の能力が著しく低かったとしても、それとは別の次元の愛情で接することがカウンセリングの基礎だからです。分かり合える人だけ救うのはプロじゃなくてもできますからね。

4)質疑応答

こういう講演で質問が出にくいのはよくあることです。と思っていたら、、、質問がでるでる「カウンセラーをしていて一番嬉しいと感じたことは?」「僕たちは高校の間に将来に向けて何をしていたら良いですか?」などなど、嬉しいけれど授業終了のチャイムがなっちゃったよ。。。閉会後も個別に話しかけてくれて、悩みを打ち明けてくれる生徒が何人かいました。休み時間、10分の間に教室を入れ替わるので忙しいのにね〜良い質問なので、講義の続きをやりたかったけど我慢我慢。

5)二回目の講義

教室ごと生徒が入れ替わって、新しい生徒たちが入ってきました。今度の司会の子は優しそうな男子生徒。「ツイッターか!」と突っ込みたくなるくらい短い紹介をして、僕につないでくれました。そういえば、講演のたびに生徒に人前で話す時のコツを伝えたいなと感じます。彼らは緊張してできないというよりは教わっていないんですね。緊張は講師と参加者と気持ちをつなげば飛んでしまうこと。話し始めに3秒の間を空けることで場が作られること。声を響かせるコツ。ゆっくり話すことは自分を助けることなどを伝えるだけでも(人前で話すのは気持ちが良い!)と思ってもらえるのに、、、と思います。このような司会をさせていると前に立つの嫌になっちゃうよね。講演内容は基本的には同じなので、割愛しますが、2回目だったからか、テンションが上がってしまって、このクラスにだけ「大事な存在、自分・家族・親友・日本・地球・宇宙、、、のためにスキルを使おう!スキルに使われてはいけない!」という話を追加しました。勉強に振り回されて、成績を上げるゲームをするのが勉強ではなく、大事なものを守ったり、育んだりするためのスキルだということを忘れないで欲しいなと思ってしまったので、悪い癖ですが、1分伸びました。

 


5.先生の思い

講演後に直接相談に来てくれた生徒が何名かいました。時間もなかったので名刺を渡して、「困ったら連絡ちょうだい」とだけ言いましたが、先生は気になっているようでした。会が終わり、校舎を出て、グラウンドを通るその道すがら、寒いのにその先生はお見送りがてら生徒のことを熱心に語り、心配しているようでした。こんなに愛情深い先生がいる学校に通っている生徒は幸せだなと感じつつ、ちょっと先生側の気負いも感じました。(そんな勢いで接していたら倒れちゃいますよ!)と感じつつも情熱に頭がさがる思いでした。普段、「支えるチカラ」という講演会では話題にしていることですが、「無心になって相手の気持ちを正確にキャッチし、それから情熱を注ぐ」こちらが早合点して、焦って対応してもその情熱は「うざい」ということになってしまいます。それではお互いに不幸ですね。僕が大事にしている「心と心をつなぐ」これはこういう時にこそ生きると感じました。もう少し、生徒が求めているものと先生が思い描いているものが一致したら良いなと感じました。