傾聴はつらい出来事を聞くための技術じゃない
カウンセリング技術の誤解
傾聴などのカウンセリング技術というのは辛い人のつらい気持ちを技術として思っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。確かに、相談事がある人が話している相手に受容してもらって共感してもらえることは安心して、気持ちが落ち着きます。そして、何よりもこういった技術を持った人が必要であるのは困っている人だというのは事実です。
しかし、つらいことを根掘り葉掘り上手に聞いていく技術だというのは誤解です。
つらい出来事と同時に本人の希望も未来もちゃんと聞き出してあげることもできます。
カウンセリングの最中に、つらいことを話していて、どんな感じで辛かったですか?そのときどんな風に思いましたか?こんなふうな方向にカウンセリングを組み立てていけばつらい気持ちを聞く技術になってしまいます。
反対に、どんな未来だと嬉しい?何が好きかをずっと熱心に聞いてもらえたらどんな気持ちになるでしょうか?きっと、ツライことをずっと話して聞いてもらうことよりも気持ちは前向きになって、話していてずっと楽しい気持ちになれるはずです。
実際に、カウンセリングを受けていてもつらい話を延々としても、何か解決できる気がしてきませんが、明るい未来を見ることができればそこに向けてできるだけの努力をちょっとずつしてみようかなと前向きになれます。
いつまでも悩みを受容してもらって共感されているばかりでは次の一歩は進みづらいです。そんなときに、次へのもう一歩を踏み出してもらえるようになるのも明るい未来への受容と共感の気持ちです。
仕事の中でも傾聴
よく営業の仕事は相手の課題を聞いてそれに答える仕事だといいます。もし営業の人が相手の課題をそれとなく傾聴して聞き出してしまうプロだとしたら、傾聴はつらい話を聞く技術でしょうか?
クレーム対応の基本も傾聴にあるとされています。クレームをしてくる人は嫌だったんだという気持ちを聞いてほしい人が多いです。(もちろん、無理難題を押し付けてこようという意図の人もいます)
仕事一つをとってみても、知らず知らずに行っていることは傾聴であり、営業でもありクレーム対応でもあります。
マーケティングの仕事でモニターさんの本当の気持ちをしっかり聞く事のできるマーケターがいれば、きっと数値以上の何かを生み出せるとても優秀な人になることも出来るでしょう。
社会の中にいるとどうしても数字に目が向いてしまいがちです。こういう趣向の人が何%いるから、こんな商品を作ろうというのは間違ってはいません。しかし、どんな思いでそのアンケートに丸をしたのかまではわかりません。友達が好きだから丸をしたのか、使ってみてよかったと思ったから丸をしたのか、その違いだけでも今後の商品プロモーションの方針が大きく変わってきそうですね。
人の気持ちを少し深く聞き出せる力というのは数字を強く見る世の中にいると分析力に感情を加えることが出来るのでかなりのアドバンテージになります。
相談したい人の気持ち
そして、話を聞いてもらっている人はつらいことを延々と話してわかってもらうことを必要としているのでしょうか?きっとその人は気持ちが楽になりたい、だからその手段の一つとしてつらかったときのことを話したり、悩みを相談しているのです。
明るい未来を見せてあげたいから、解決策として明るい未来を無理矢理考えてもらおうとするのはそれも傾聴とは言えません。確かに、楽しい気持ちも聞き出せる技術とはいいましたが、答えを出してあげられる技術というわけではありません。
答えというのは案外、自分の中にあってどうしたらいいのかわかっていたりするものでもあります。
それをちゃんと聞き出してあげられる技術が傾聴でもあるとも言えるでしょう。
肩肘張らずにちゃんと話を聞いてみよう
今や情報化社会の中でだいたいのことは調べれば出てきます。数字も自分で調べなくてもある程度のことまではわかるようになっています。
そんな中で唯一わかりづらいことは人の気持ちではないでしょうか?
ネット上にいろんな気持ちをあげている人はいますが、その人がどんな状況、どんな表情であげているのかはわかりません。対面同士でのコミュニケーションが減っていることが問題という話も出てきています。
そのため、ギスギスした人間関係の中でちょっと気の利いた聞き方をすることができればそれはきっとかなりのアドバンテージになります。
特別な技術ではありません。誰にでもできることです。
まずはじっと自分の話をしないで聞いてみることから始めてみましょう。